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毒親というらしい

毒親の功罪

 

親からの教育が、潜在意識に刷り込まれ

その子の後々の人生に影響を与える……

というような話を聞きます。

 

確かに一理あると思います。

 

実際、私もそんな一人だったと思います。

 

自分の親を毒親呼ばわりするのは、少し抵抗もあります。

今は、感謝の思いもちゃんとあるからです。

 

 

 

親に教えられたことは

生きる上で重要な要素だと確信しているのだから

仕方ないです。

 

親は、良かれと思って

叩き込んでくれたんでしょう。

 

そうではないにしろ

 

生きていく中で

この考え方は変だなとか

上手くいかないな

と感じたら、軌道修正すればいいんです。

 

思い込みを変えるのは難しい

そもそも、そんなことをしたら、自分が自分でなくなってしまう

と私も思っていました。

 

でも、やってみたら

そんなに大変なことではありませんでした。

自分が自分でなくなってしまうこともありません。

 

私の感覚としては

元々インストールされていたアプリを

使わなくなったのでアンインストールするイメージです。

 

 

 

私は誕生からして、厄介なアプリがインストールされたみたいであることは

以前のブログでお話しました。

今回は、その後の幼少期のお話です。

 

 

 

 

私の親も毒親だったんだぁ

 

生まれてすぐの私は、叔母に手厚く面倒を見てもらったようです。

 

駆け落ちしてきた超お嬢様の母でしたが、

母の実家は大切な娘の出産後に際し、実家の長男の嫁を送り込んだようでした。

この叔母には、その後も本当に可愛がってもらいました。(また、別途話します。)

 

生まれてきた子を、母なりに可愛がりたいと思ったんでしょう。

当時の少女向けの小説などから、いくつか候補の名前を考えたそうです。

 

ところが・・・

 

 

 

名前

駆け落ち先の知人の知人は、鉄工所の下請け会社の常務さんでした。

なので、父はそこで働くこととなりました。

 

現場仕事の慣れない仕事でも、一生懸命に勤めていたようです。

その様子を見ていた当時の社長は、大蔵省からの天下りの方だったそうですが

父を現場の体力仕事ではなく、事務職へ配置転換したそうです。

すでに、体が弱くなっていた父ですし、事務職の方が、いわゆる水を得た魚。

社長に気に入ってもらえたようです。

 

そんな気に行った社員に子どもが生まれたということで

社長自らお見舞いに産院まで駆けつけてくれたそうです。

 

そして

 

有難いことに?

勝手に?

幸か不幸か?

 

社長は自ら名付け親を引き受け、

自分の名前から一文字、社長の母親の名前から一文字取って

私に名前を付けて帰られたそうです。

 

社長から付けられた名前は

母の意に、そわないものでした。

 

・・・例えば、犬や猫などを飼うことにした時

自分がいいなぁ、可愛いなぁと思う名前を付けたいと思うし、

その名前になれば、一層可愛がりますよね。

 

 

私は、母の愛情を受けるチャンスを失ってしまったようです。

 

 

私に物心がついた頃にも

母は私の名前が気に入らないんだとしょっちゅう言っていました。

 

 

 

幼児期

叔母が帰ってしまい、両親と私の三人の生活が始まり

どんな風だったのかは、よくわかりませんが

すぐ近所に住む常務さん一家が、随分関わってくれていたようです。

 

やがて、父が体調を崩し、長期の入院となり

母と私は、母の実家の離れで暮らすことになりました。

 

駆け落ちした娘なのに、母の両親、つまり私の祖父母は

凛として受け入れたのですから、立派だなぁと後から思いました。

 

 

ちょうど私が2歳ぐらいから幼稚園に上がる直前ぐらいまでの期間だと思います。

 

なので、断片的に記憶が残っています。

 

母が私の面倒をちゃんと見ないことで叱られて

私に母屋に行ってはいけないと言って

何日かつまらない日を過ごしていたのを

じいちゃんが助けてくれたこと。

 

叔父や叔母が自分の子供たちと変わらず

何ならそれ以上に可愛がってくれたこと。

 

だけど、時々、やっぱり本当の子供じゃないから仕方ないと思ったこと。

 

叔父や叔母の子どもにこっそりいじめられたこと。

 

 

そして

 

 

近所を一人で歩いていた時でした。

 

知らないおばさんが近寄ってきて

母のことを尋ねてきました。

 

私は、母の地元であることをよくわかっていたし

知らないおばさんでも、はしゃいでおしゃべりしました。

 

何をしゃべったかは覚えてはいませんが

おばさんは笑いながらも、きつい口調で

何度も「めかけのこ」という言葉を口にしていました。

何度も言われたので意味は分からないけど、脳裏に焼き付きました。

 

そして別れ際に、小さな紙袋をもらいました。

「持って帰って、お母ちゃんと食べんさい」

 

帰り道、袋の中身が気になって覗いてみたら

小さなネズミの死骸が入っていました。

 

慌てて袋を閉じて線路際の草むらに駆け込み

何も意味は分からないけれど

ママに見せたらダメ

誰かに話してもダメ

そう思って、泣きながら穴を掘って袋を埋めました。

 

 

近所のおばさん達は

今にして思えば、興味本位の質問をよくしてきたと思います。

 

昔の小さな集落です。私の記憶違いではなく、本当にあったことです。

 

 

父が退院し、実家を後にしたのは幼稚園に上がる直前でした。

 

 

 

学童期

 

父も母も教育熱心で、私をお金持ちのお嬢様風に育てようとしました。

全然、お金持ちではありませんでしたが。

 

私が好きだと思う洋服は、ことごとく却下されました。

伸ばした髪は、きちんとくくりリボンを結わえてもらいました。

 

小学校に上がると、担任の先生から

エナメルの靴は良くないと言われ、

やっと運動靴を買ってもらえましたが、

みんなと同じようなマンガの可愛いキャラクターが書かれたものではなく

布製で、ちょっと革風のワンポイントがついたおしゃれ靴でした。

 

大切に育ててもらっていました。

 

 

でも、母の機嫌を損ねないように、とても気を張っていました。

父がいない時の母の怒り方は尋常ではなかったからです。

 

父でさえ、時々恐ろしく不機嫌になりました。

 

よく二人からは

「うずろしい!」(うっとうしい、邪魔 の意)

と言われていました。

 

 

そして、

「パパもママも長くは生きれんから、一人で生きていくんで」

とも、よく言われ、

私は一人になることの恐怖にさいなまれていました。

 

 

 

私が誰かと関わるのも、かなり気に入らないようでした。

 

 

 

成人しても、

「我が子の幸せを守る」

「幸せになってもらいたいんだ」

という言葉を振りかざし

私の行こうとする道を阻みました。

親が死ぬまでは、それなりに従うしかないと刻まれていました。

 

 

 

書き連ねるとキリがないし、なんだか不幸自慢していると思われるのも

嫌なので、このくらいにしておきます。

 

 

 

 

両親は、駆け落ちしてきた事に

相当な負い目を感じ続けていたと思います。

 

そのくせ、きちんとしてこなかった人たちです。

 

なんだかわからないまま、私は幼稚園と小学校5年生からは父方の姓、

小学校1年生から小学校5年生までは母方の姓を名乗り

 

そりゃ近所の人や、友人のお母さんたちは

「なんで?」といろんな勘繰りをします。

その憶測やらの誹謗中傷にさらされました。

 

父が前妻との離婚を成立させ

母をちゃんと籍を入れたのは、父が亡くなる3年前でした。

 

 

 

見失った本来の自分

 

そもそも、思い返せば

私は誰とでもすぐに仲良くできるような屈託のない子どもでした。

 

だけど、いつのまにか

人の顔色を常にうかがい、空気を読みまくり

そして頑張り屋さんのいい子

になりました。

 

 

ただ、きっとポジティブ思考なんだと思います。

様々なネガティブな出来事にめげることもありませんでしたし

 

 

思春期を迎えるまでは、

私は両親からはすごく愛されていると思っていたし

両親の言動に違和感を感じてはいませんでした。

 

 

 

毒親であったにしろ

そうでなかったにしろ

私をこの世界に連れてきてくれ

育ててくれたことには違いないです。

 

 

彼らには彼らの様々な事情があったんです。

 

 

 

 

 

父が亡くなって、私は離婚しました。

父が

「わしが死んだら好きにしていい」

と言ったのを

結果として聞き入れたことになりました。

 

 

母は認知症です。

 

 

 

 

自由になれたけれど、

両親からインストールされた様々なアプリが

私が私の人生を生きていく上では

とても使い勝手の悪いものだったことに

やっと気づきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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