鬱の記憶
死んでしまいたいと思うくらいに
辛い思いをしている人たちへ・・・
嫁姑、いじめ、夫婦・・・
いろんな人間関係からの悩みがあります。
私も以前、経験しました。
実は10年前くらいに
アメブロでブログを書いていた時期があります。
そこに綴った
長男の嫁、舅との同居に疲れて
鬱になっていった記憶……
今から20年くらい前の出来事ですが
リライトします。
目次
結婚当初
10年後
ストレスに蝕まれる~体
ストレスに蝕まれる~心
闇の中
ずっと思い出さないように
してきました。
この頃をわずかに思い出す術は
殴り書きされたノートです。
もしも、ふいに命を絶っていたら
遺書だって言われそうな殴り書きです。
読むとそのまま
思い出した闇に
引きずり込まれてしまいそうな恐怖が
すぐ横であぐらをかいてる感じで
よみがえってきて怖くなります。
~当時のノートより~
・・・全て押しつけられてこんなに重いのに。
でも、その重さは誰も判らないし
その重さを放り出したところで誰も重くはならない。
答えは私自身の中。(中略)
その私自身というものは私自身を見失い認識できない。
毎日、針のむしろで精神をすり減らして暮らしていることを
誰1人として本当に理解していない。
してもらえないのは当然だし、望んでもいない。
そんな思いまでして過ごしてきてるけど
私がいなくなっても誰1人として本当に困りはしない。それなりにやっていける
(別の日)
逃げたい 消えたい 無くなりたい いっそ完全に病んでしまいたい。
違う。
腹をくくれ。 肝に銘じよ 。覚悟を決めろ。
下手な夢や理想は無くせ。私は嫁いできたんだから。
(別の日)
とにかく、少しでも(舅と)関わり打ち解けてしまったら、
呑んだ時にこちらのテリトリーに土足で入ってきて居座る。
これが私にとって最大の恐怖。
それは嫁いできた当初の(舅の)荒れ様がトラウマになり
居座られたら逆らえない、ずっと相手にならなきゃならない
自分の生活リズムや子どもたちが侵される
子どもたちと自分を守るため、是が非でも打ち解けるわけにはいかない
そして、自分をよく見せたい
のんびりしている所を見せるわけにはいかない。
何かトラブルがあって一戦交えることになった時、
自分に否がないようにしなければならないから。
少しでも隙や弱点を見せるわけにはいかない
否がなければ私は勝てる
どんなに心が滅茶苦茶で
そのうち
考える力すらなくなっても
私はかつての自分を
人前で演じることだけは
必死で続けていました。
だから
私が闇の中にいたことに
誰も気付きませんでした。
救い
1人だけ
気付いてくれた人がいました。
古い知り合いの四柱推命の先生です。
1つだけ
気付かせてくれた本に出会えました。
曾野綾子さんの
「いい人」をやめると楽になる
という本でした。
自分の状況を吐露したかったのか
何か用があったのか
よく覚えてはいないのだけど
四柱推命の先生のお宅に
ある日、お邪魔しました。
この頃になると
考えて行動しているはずなんだけれど
心ここにあらず状態で
何をどうやったのかを
記憶に留めることは
できませんでした。
そして
身体は次々に患うストレス性疾患で
ぼろぼろで
やる気とか覇気は皆無でした。
四柱推命の先生が
私は目を合わせていなかったけど
私の顔をまじまじと見つめていたのは
なんとなく覚えています。
先生は
私に悪いモノが
取り憑いているとおっしゃいました。
本当にそうだったのか
私が私自身を否定することのないように
という心遣いだったのかは
定かではありません。
けれど
珍しい美味しい物を
食べさせてくださったり
方向取りと称して
いろんな場所に行くなど
とにかく
心が1つのことに固執しないように
いろいろ指導してくださいました。
でも、正直なところ
何をしていたのかは
あまり覚えていません。
そして
私が処方されている薬は鬱の薬だと
教えてくれました。
でも
鬱になりきってはいけない
と強く言われました。
そうか、私は鬱病・・・
そんな頃
曾野綾子さんの本を読んでみて
目から鱗・・・
そんな考え方って・・・
と気づきが起こりました。
取り付かれたように
心に響く言葉を
とにかくノートに書き写し
何度も読み返して噛みしめました。
特にハッとしたのは
死ぬほど疲れていると感じたら、どんな不義理もできる。死ぬことと比べたら、出世も、悪評を立てられることも我慢できるというものだろう。ほんとうに過労で死ぬかどうかは、自分しか判断できない。
つまり
無理、しんどい……と思う時の
その重さは自分にしかわからない。
自分で判断するしかないんです。
人それぞれ、人間性に関わらず、
持っている器の大きさやカタチは違う。
他の人に耐えれることが、
必ずしも自分に耐えれるとは限らない。
それは
忍耐力の欠如とか努力不足とか
評価されるけれど
人はみんなそれぞれ違う。
何度も読み返して噛みしめて
そうして私は
まず
いい人をになるのを
止めることにしました。
一人の人を傷つけるくらいの強さがないと、一人の人の心も救えない。
という言葉に従い
おそらく一生背負う
ごめんなさいを覚悟して
私と私の家族を
私なりに修復する決意を固めました。
この家を出よう
舅から離れよう
すっかり温度差ができ
私の中にできた
夫婦間の溝を埋めよう
一番下が
幼稚園の父親参観を前に描いた
顔を真っ黒に塗りつぶした
お父さんの絵。
来年は
笑顔のお父さんの絵を
描けるようにしてやろう。
そして私も
気兼ねなく食事を作ったり
気兼ねなく出掛けたり
気兼ねなくのんびりしたり
気兼ねなくお茶をのんだり
気兼ねなくご飯をたべたり
気兼ねなく休んだり
気兼ねなく掃除したり
・・・しよう。
そのために
上の子どもたちを
転校させてしまう
ごめんなさい。
お義父さんごめんなさい。
お義姉さんたちごめんなさい。
親戚の皆さんごめんなさい。
私の両親にもごめんなさい。
旦那にもごめんなさい。
決意は正しい?
私の願いの為に
多くの人にごめんなさい。
それは
やっぱり間違ってる?
でも
そんな自分を
死に物狂いで許そう・・・
私の中の頑張る器は
もういっぱいで
これ以上は無理なんだから
心を鬼にしなきゃ。
と、別の意味で
潰れそうになりながら
闇から
なりふり構わず
這い上がりはじめました。
DO!
身体も精神もかなり
ヤバかった私ですが
四柱推命の先生の後押しも力にして
自分の決断を信じて
単身赴任の主人の住む街への
転居を決めました。
これは、確かに、
たくさんの
ごめんなさいを背負っての
決断でしたが
私自身の救済だけでなく
主人、子ども、夫婦にとっての
多くの可能性を感じていました。
舅にとってもそうでした。
酔っては
「実の娘と暮らしたい」
と友人にこぼしているのを
何度も聞いて
腹立たしいとかそんな思いではなく
本当にいい意味で
じゃあそうできるようにしてあげたい
と思っていました。
舅には殺意さえ覚えるほどの
疎ましさを感じていながらも
一方で
自分でもどう理解していいのか
わからないのですが
尊敬の思いや大切に思う気持ちを
はっきりと持っていました。
考えて考えて
何日も寝ずで調べて
転居を決意してから
わずか2ヶ月で
住む場所を決め
周りを説得し
中古住宅を購入して
転居しました。
子どもたちは
小6、小5、幼稚園でした。
住まいは
現地で探すわけには
いかなかったので
ネットで探して
メールで
不動産屋さんとやりとりして
という感じだったと思います
転居してよかったです。
全部が
上手くいったわけじゃないけれど
よかったと思います。
自分の力で
希望を抱けない時は
命が危ぶまれた時は
自分の判断で
自分を信じて
自分で変えていくのです。
命が危ぶまれた時は
逃げるべきです。
人はみな
幸せを求めていいんです。
誰かへのごめんなさいは
きっと
別のカタチで
償ってもいいんです。
完璧な自分を求めている時は
人にも完璧を求めがちです。
自分の弱さを認めた時
人の弱さに優しくなれました。
生き方は1つじゃないです。
自分のまわりは全部、道です。
命は1つです。
死ぬくらいなら
試しに
違うやり方を
ダメもとで
やってみるべきです。
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住所 |
〒664-0028 兵庫県伊丹市西野 |
営業時間 |
10:00〜19:00 定休日:土・日・祝日 |
代表者名 |
癒楽道hiro |
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