隠し事
目次
隠し事
隠し事をずっと抱え続けるってことは
多かれ少なかれ
誰にでもあることかと思います。
墓場まで持っていくとか言いました、昔は。
黒歴史的なことなんて
私にもたくさんあります。
それはそれで
大っぴらに言うことでもないし
わざわざひけらかすものでもないので
心の片隅にしまっておいていいと思います。
自分にとって
四六時中、苦しめるものでなければ
いいと思います。
でもそれが
自分が生活していくうえで
或いは生きていくうえで
いつもキーワードとして引っかかるものなら
例えば
したくない仕事、自分らしくないキャラ設定、
群れたくない仲間、性格のこと
ジェンダーのこと、過去の出来事……
いつも何をするにも
ドーンと心の中に居座っているなら
どうにかした方がいいと思います。
トラウマの出来事は
吐き出して形を変えることができるもんですし
隠していることで
奇跡が生んだスゴイ自分の誕生を妨げている
そんな場合もあります。
隠し事を暴露するにあたって
心配するのは
その後の自分のことだけではないですよね。
聞く側のことも心配されるでしょう。
聞かされた隠し事
以前、結婚していた頃の話。
二人目の子供を妊娠中
元夫が外泊するということがありました。
確か2回。
ある日、夫にティファニーのネックレスを
突然プレゼントされました。
なんで?と尋ねたら
「実は、この前帰れなかった日は
職場の若い女の子の○○さんの家に泊ったんだ。
○○さんの悩みを聞いてあげるために行ったので
本当に何もなかった」
と暴露されました。
実際に何もなかったのかどうかは
わかりませんが。
言いにくいことを、
隠そうと思えば隠せることを
あえて正直に包み隠さずに
話してくれたことを
私への愛の証だと受け止めようとしました。
そういうのって隠されていても
真実を知る人がもう一人いるわけです。
この場合は、職場の若い女の子。
二人だけが知っていること
つまり元夫と若い女の子だけが知っていること
それが嫌だったんです。
パートナーに対しては
何でも全て知っておいてもらいたかったし
何でも全て知っておきたかったんです
それが
この世で唯一無二の存在の証だと
感じていたからです。
自分の世界は相手のもの
相手の世界は自分のもの
そういう考え方でした。
元夫の暴露の直後
おなかの中の子供は
突如逆子になりました。
それがなんだか
おなかの中の子どもが共感してくれたようで
少しなぐさめられたり
夫にとって私が一番の存在なんだと
しっかり言い聞かせることで
心を穏やかに保ちました。
もらったネックレスは
見ると心がざわざわするので
あまり付けることはありませんでしたが
一件落着していました。
ところが
時間が随分経過してから
元夫、本人はあんな風に
カミングアウトしたことで
胸のつかえを取っ払って
楽になれたんだろうけど
私はずっと
もやっとした不信感を抱えることになった。
あれは本当に
私を思いやった行為だったのか……
と思うようになっていました。
そう思うようになったのは
やはりその後の
元夫への私の
気持ちの変化によるものだと思います。
その後、そういった浮気的なことで
裏切られることはありませんでしたが
お互いに生活や仕事に対して
ストレスフルな状態でした。
上っ面は寄り添ってくれていても
内面的には寄り添ってもらえていないような不満を
抱えていました。
なので
元夫の言動を
その時のものだけでなく
昔のものまで引っ張り出してきて
別の見方に変えてしまったんだと思います。
聞かされた側の変化
カミングアウトを
受け止める側のことは考えなくていい
というのは乱暴かもしれませんが
受け止める側にも
受け止める側の世界観があって
それは受け止める側のもので
こちらがとやかく言えるものではないのです。
そして
以前の私のように
それは変化していくものですし
カミングアウトした側のその後の姿で
いかようにも見え方は
変えることもできるんです。
私の例は
小さなカミングアウトの話ではありましたが……
恋愛観の話に及んだので
ちなみにですが
以前は
書いていたブログなどを
すべて読んでくれた人は
愛してくれる人だと思い込んだこともありました。
つまり、かつての私は
自分で自分がわからなかったから
ロックオンした人やパートナーに
自分を知ってもらいたかったのかもしれません。
今は誰かやパートナーに
自分を丸ごと知ってもらわなくても
自分が自分を知っているので
ありのままで見える部分で
これでどうだ~
という感じになれました。
他人の世界観
恋愛でも、親子であっても
どんなに愛しているとしても
自分の所有物ではありません。
それぞれの自分の世界があるんです。
それぞれにそれぞれの
人生がある。
世界がある。
社会がある。
考え方がある。
私には
私が出会った人がいて
育んで歩んできた人生があって
私だけが感じて見える世界があって
私が関わっている社会があって
私なりの考え方がある。
みんなそれぞれにそうです。
人と人との関係は
それぞれが勝手に生きていて
その姿を隣でそれぞれが勝手に
素敵だと思ったり、
好きになったり
愛したりしていくものだと思うんです。
だからこそ
自分の世界を自分で生きることが
大切なことなんだと思うんです。
カミングアウトは一大イベントじゃない
自分の世界を自分で生きるために
これは隠せないと思うことは
勝手にカミングアウトすることが
最初の一歩かもしれません。
自分が思うほど
世の中的には重要なことではないんです。
世の中のちっぽけな自分が
こんなんじゃないんです!
といったところで
今自分の周りにある
小さなコミュニティがざわつくだけです。
小さなコミュニティのざわつきなんて
一時的なものです。
カミングアウトして
生きやすいコミュニティに
ステージを移してもいいんです。
ただし
すべてさらけだしても
全部楽にはならないかもしれないです。
なぜなら
根本的に自分が自分をどう受け止めているか
という問題はそのまんまだから。
でも
それが第一歩になるとは思います。
大きなカミングアウト前に
誰かに話してみる
そういう助走はあるといいと思います。
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